チラシの裏の覚書。

個人的なナレッジノートです.φ(..)

"本が読みたくて−死ぬほど読みたくて、神にまで祈るというような気持は、クリック一発で本がダウンロードできる現代では想像することもできまい。iPad などによる電子本が期待されているといっても、所詮は新奇な..."

f:id:Saitoh:20141011055526p:plain “本が読みたくて−死ぬほど読みたくて、神にまで祈るというような気持は、クリック一発で本がダウンロードできる現代では想像することもできまい。iPad などによる電子本が期待されているといっても、所詮は新奇な体験を求めてのことで、読書は記号に過ぎないからである。

 だが、菅原孝標 (たかすえ)の女はそうではなかった。千年も前の人々は、本が読みたくとも本屋も図書館もない。高貴な伝手を求めて借りるほかはなかったからである。

  十歳のころだったろうか。彼女はこの世に物語というものがあるのを知って、どうにかしてそれを見たいと思い、姉や継母が『源氏物語』を話題にしているのを 耳にするたびに、いっそう詳しく知りたいと願うのだった。そこであれこれ筋を聞き出そうとするが、相手も全部を覚えているわけではない。どうにも満ち足り なくなって、ついに等身大の薬師仏をつくり、手を洗い清め、人の見ていないときに「京にとくあげ給ひて(京に早く上らせてくださいまして)、物語のおほく 候ふなる、あるかぎり見せ給へ」と、身をなげだして額(ぬか)をつき、祈ったというから、熾烈な読書欲というほかない。

 当時、彼女の父 は上総介(かずさのすけ)をつとめていた。上総は「あづまぢ(東路)の道のはてよりも、猶おく(奥)つかた」に属する辺境である。七百キロも離れた都で評 判の『源氏物語』などが入ってくるはずもない。父孝標は菅原道真五世の嫡孫で、継母は歌人であるし、兄の定義は大学頭文章博士であるから、学問や文芸とは 縁のある一家であったが、それでもなお、平安時代に東国に生活するということは、書物とは無縁の生活を送るということを意味していたのである。

『更 級日記』を読んで胸が熱くなるのは、この純な心の女性が書物に寄せる、深く大きな愛情である。十三歳のとき、ようやく父親の任期が満ち、念願かなって京に 戻るとき、彼女の胸中にあったのは、むろん京のにぎわいや、きらびやかな貴族の生活ではなかった。ひたすら書物、書物、書物であったろう。”

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