チラシの裏の覚書。

個人的なナレッジノートです.φ(..)

"1つは、労働党の失策である。左派政党の失策と言ってもよい。  この点は日本からは見えにくいかもしれない。日本の政治風土は特殊なので、左翼と右翼、左派と右派、あるいはリベラルと保守といった基本的な対立が他..."

f:id:Saitoh:20140920065238p:plain “1つは、労働党の失策である。左派政党の失策と言ってもよい。
 この点は日本からは見えにくいかもしれない。日本の政治風土は特殊なので、左翼と右翼、左派と右派、あるいはリベラルと保守といった基本的な対立が他の先進国とは異なっている。
 国際的には労働者の政党が左派であり、今回のスコットランド独立の動向はその左派である労働党の政策に対して違和の表明という点が大きかった。その点を延長して言えば、今回の独立運動は保守化の動きであった。後でも触れるつもりだが、より正確に言えば、地域文化・生活に対する保守的な動向でもあった。
 左派的な動向への違和がスコットランドで沸き起こったのは、その政策への失望なのだが、失望というのは期待の裏返しであるように、前段には期待もあった。
 少し大戦後の歴史を振り返る。日本では新自由主義というふうに、なんでも放り込める分別なしゴミ箱のようなレッテルで理解されることの多いサッチャリズムが焦点になる。この政治改革は、日本では英国病という独自の用語で形容される、1960年代以降の産業保護政策がイギリスの国際競争力を低下させてきたことへの対策であった。サッチャリズムの評価は一概には言えないが、この改革の影響を大きく受けた、あるいは受けたと理解したのがスコットランドだった。まず、サッチャリズムや保守政治への反発があり、これが労働党への期待に結びついていた。
 スコットランドはもともと、労働党色の強い地域で現保守政権の前の労働党政権時代の首相であるトニー・ブレアやロバート・ブラウンもスコットランド出身であり、スコットランド人と言ってよい。
 こうしたスコットランド人材によるイギリスの労働党政治が、おもにイラク戦争とリーマンショックへの対応をきっかけに、地元のスコットランドから忌避されるようになっていた。
 経緯を簡単にまとめると、サッチャリズム的な保守主義にも、グローバル化に沿った労働党左派主義にも、そのどちらにもスコットランドは否定的な思いが高まり、そこに地域政治への希求が高まっていたことがある。もちろん、これに北海油田といった利権の思惑も絡みはする。
 労働党政権への失望というものをどう考えるかという点からは、今回のスコットランドのレファレンダムは日本も含めた幅広い意味合いを持つだろう。”

- スコットランド独立住民投票(レファレンダム)、否決: 極東ブログ (via morutan)
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