チラシの裏の覚書。

個人的なナレッジノートです.φ(..)

" ただ、池上さんの原稿を拒絶しようとした人間の側に、特定の言論を封殺する意図があったのかというと、私は、そんなごたいそうな思惑は無かったと思っている。  彼は、単に、面倒を嫌っただけだ。あるいは、昨今の..."

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 ただ、池上さんの原稿を拒絶しようとした人間の側に、特定の言論を封殺する意図があったのかというと、私は、そんなごたいそうな思惑は無かったと思っている。
 彼は、単に、面倒を嫌っただけだ。あるいは、昨今の朝日バッシングを受けて、アタマに血がのぼっていたということなのかもしれない。

 いずれにせよ、担当編集者(あるいはデスクなのか編集長なのか)は、ジャーナリズムに携わる人間としてあの判断をしたのではない。単に、組織にぶら下がるひとりのサラリーマンとして、自己の責任の及ぶ範囲で面倒が起こることを回避しようとしただけだ。

 大きな組織になればなるほど、記者の立ち位置は、一種不可思議なものになる。

 権威的な組織に属する人間は、会社の看板で仕事を発注し、会社の名刺で取材のアポを取り、外部の人間に対しては会社の名前で対面している。彼らは、外部に対しては、「朝日」なり「文春」なりといった大看板のオーラ込みで自己の存在をアピールしているわけで、中には、個人用の自意識を、会社の看板の大きさに合わせて再調整しているケースさえある。

 さてしかし、社外のパンピーに対しては、「朝日」の威圧をほしいままにしていた彼も、社内の人間に直面すれば、ただの下っ端だ。

 副編集長は編集長の顔色をうかがうばかりになるし、ヒラの記者はデスクの叱声におびえるチンピラになりさがってしまう。編集長だって同じだ。部下に対しては峻厳でも、紙面を読んだ上層部の人間にイヤミを言われるとそれだけで縮み上がってしまう。

 何を言おうとしているのかというと、池上さんの原稿にダメ出しをした人間は、言論機関としての「朝日」のあるべき姿について熟考を重ねた上で、掲載拒否の判断をしていたのではないということだ。

 彼は、そんな大きいことは考えていない。それどころか「外部」を見てさえいない。
 彼は、直属の上司や、両隣の同僚がどう言うのかを気にかけていたに過ぎない。それほど視野が狭いからこそ、ああいう判断を下すことができたのだ。

 逆に言えば、言論機関としての「朝日」の体面なり評判なり矜持なり一貫性なりについて少しでも思いが及んでいたのであれば、いくらなんでもあんなトチ狂った判断はできなかったはずなのであって、要するに、あれは、半径3メートルの範囲内でしかものを考えることができない組織人が、自己保身と事なかれ主義の結果として下した内輪の結論だったということだ。

 内輪の思考に取り憑かれている人間は、自分が暮らしている内輪の外側に、現実の世界があるということを忘れてしまう。

「そんなバカな」

 と思うかもしれないが、権威的な組織の内部で呼吸をしている人間はそんなバカになるものなのだ。



- アレは、世間によくある話 (4ページ目):日経ビジネスオンライン (via taquyallan)
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