チラシの裏の覚書。

個人的なナレッジノートです.φ(..)

"ドストエフスキーは、若い頃に逮捕され、一度死刑判決を受けたあと、執行直前で恩赦を受けています。 「命拾い」したという経験が、ドストエフスキーのその後の人生や作品に与えた影響について、佐藤さんは、こ..."

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ドストエフスキーは、若い頃に逮捕され、一度死刑判決を受けたあと、執行直前で恩赦を受けています。

「命拾い」したという経験が、ドストエフスキーのその後の人生や作品に与えた影響について、佐藤さんは、こんなふうに推測しているのです。

 もっとも当初から、この死刑判決は、直前に減刑されるシナリオになっていた。革命家たちは主義に殉じる覚悟をもっている。このような革命家を次々と処刑しても、殉教者に対する尊敬が深まりかねない。国家としては、「あれだけ威勢がよかった革命家も、こんなに温和(おとな)しくなる」という転向を可視化させなくてはならない。そのために、一旦、死刑を言い渡した者に恩赦を与えることで、国家は人を殺すだけでなく、生かす力もあるのだということを皮膚感覚で政治犯に叩き込む。このような体験をした人は、その後、一生、国家を恐れるようになるという現実と、皇帝官房第三課はよくわかっていたのである。

 この雰囲気が、筆者にもよくわかる。筆者は死刑判決を言い渡された経験はない。筆者の判決は、懲役2年6ヶ月(執行猶予4年)であった。しかし、逮捕から判決確定まで7年、執行猶予期間が満了するまでに11年かかった。この11年間は、常に事件のことを意識して、細心の注意を払いながら生活していた。もうあのような神経を張りつめた生活は二度としたくないと思う。その思いは、執行猶予期間を満了して、完全に自由な身になってからの方が強くなった。不自由な環境から自由を得た人間は、自由を失うことをとても恐れるようになる。ひとたび死刑にされる危険にさらされた人は、命を失いたくないという思いが、そのような経験を持たない人よりもはるかに強くなるというのが筆者の見立てだ。


人間って、「死に近づく経験」をすれば、肝が据わるというか、「死ぬことを恐れなくなる」わけではないのですね。

最初の「死刑になるであろう状況」のときには、おそらく「覚悟はできている」人も少なくないはずです。

ところが、その状況から、一度「生きる」方向に針が動いてしまうと、かえって、「もう一度死ぬ」ことが恐くなってしまう。

そしてその恐れは、「死に近づいたことがない人」よりも、強くなりがちなのか……



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琥珀色の戯言

修羅場の極意 (中公新書ラクレ)

(via hutaba)


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