チラシの裏の覚書。

個人的なナレッジノートです.φ(..)

"わたしは、機能不全家族で育ちました。 それを恥ずべきものだと思いだしたのは、 結婚し、夫の実家を見てからです。 「私の実家はおかしかったんだ」と気づいて 18年になります。 今年に入って、私の実家の..."

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わたしは、機能不全家族で育ちました。

それを恥ずべきものだと思いだしたのは、
結婚し、夫の実家を見てからです。
「私の実家はおかしかったんだ」と気づいて
18年になります。

今年に入って、私の実家の母が倒れました。
母は、認知症を患った父を、老々介護していました。

わたしは、実家に寄り添い続けました。
フルタイムで仕事しつつ、
自分の息子の中学受験に伴走しつつ。

弟がいますが、あまり協力的ではなく、
わたしは、母の入院・手術・退院のすべてに付き添い、
先日、母とわたしで退院祝いをしました。
母は、アルコールも入っていたせいか

「息子(わたしの弟)の子育てに失敗した」

と泣きだしました。
わたしの中の感情が爆発しました。

「わたしはいつだって寄り添っているでしょ。
 お母さんは、わたしは1人で大丈夫だって言って
 いつも弟のことばかり心配してたよね。
 わたしはここにいるんだよ。」

そんなことを言い始めると、
涙があふれて止まらなくなりました。

母に感情をぶつけました

退院したばかりの母に
泣きながら、感情をぶつけました。

わたし、つらかったんだ。昔も今も。

自分の大好きな家族を
恥ずかしいと思い続けている自分がいやなんだ。
認知症になった父を見守ることも
ほんとうは苦しくてたまらなくて、でも
わたしがキーパーソンにならなくてはいけないから
苦しくないふりをしてきただけなんだ。

そんな感情があふれ出しました。
小さな子供に戻ったように。

母はそんなわたしを見て、ただ黙ってました。

そしてわたしが帰宅しなくてはならない時間になると
「駅まで送る」と言って付いてきました。
まだ足が悪くて、貧血もあるのに。

実家の最寄りの駅までかと思っていたら
わたしの家がある最寄りの駅まで1時間ほど
一緒に電車に揺られてました。

その間、わたしは母によりかかって
うつらうつらしてました。

固くなっていた気持ちが柔らかくなっていることに
気づきました。
母がなんども、

「娘を生んでよかった」

とつぶやいているのを聞きながら。

45歳にして初めて母に届けてみました。
「わたしを見て」と何度も想い、
言っても仕方ないとあきらめていた気持ちです。

父のこと、実家の片付けのこと、そういったものごとを
母と二人で乗り越えた「いま」だから、
ようやく言えるようになった、わたしの気持ちです。



- おとなの小論文教室。 (via drhaniwa)
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