チラシの裏の覚書。

個人的なナレッジノートです.φ(..)

"この日誌は、昭和19年4月から1年間、瀬田国民学校(今の大津市立瀬田小学校)5年の女子児童7人が書いた。担任教諭が戦争一色の教育を憂い、豊かな表現力を身につけさせたいと願って書かせた。  7人は放課後..."

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この日誌は、昭和19年4月から1年間、瀬田国民学校(今の大津市立瀬田小学校)5年の女子児童7人が書いた。担任教諭が戦争一色の教育を憂い、豊かな表現力を身につけさせたいと願って書かせた。

 7人は放課後に話し合ってテーマを決め、絵や文章などの役割を分担し一枚の絵日記のように仕上げた。題材は、入学式や学芸会などの学校行事をはじめとするさまざまな日常風景。万歳で出征兵士を送り出したり、疎開児童を慰問したりと、戦局が悪化していった当時を克明に伝える描写も多い。

 そんな中、日誌に登場する女児たちの衣装は赤や黄など鮮やかに彩られている。「『こんな服着たい、きれいになりたい』という夢、憧れの色だった。当時は、地味で粗末な服しか着られなかったから」。筆者の一人、吉田清子さん(81)が振り返る。

 7人のうち吉田さんら5人が存命。別の女性も「日誌を書いているときは楽しかった」と懐かしむ。

 しかし、本土への空襲が本格化するにつれて、警戒警報や空襲警報が発令されて逃げる状況、米軍の大型爆撃機「B29」など敵機が飛来する様子が題材に増えていく。

 「はじめは、銀色に光り隊列を組んで飛ぶB29をきれいだと思っていたが、だんだん憎らしくなった」と吉田さん。名古屋の空襲で瀬田の空も赤く染まったのを覚えている。

 20年3月19日。みんなで日誌のテーマを話し合い、吉田さんが真っ黒に塗りつぶしたB29を描いた。日誌はこの日で最後になった。教諭はその理由を説明しなかったが、吉田さんは「殺伐としていった絵を、先生が見たくなかったのでは」と想像する。



- 真っ黒に塗りつぶしたB29…学級日誌に綴った子供目線の戦争 海外の学者も注目(1/2ページ) - MSN産経west (via clione)
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